今から三十年前、炎天下の国際通りを祖母と二人手をつないで歩いた。
それは、小学校にあがったばかりの初めての遠足のしおりに書き記された
「キャラバンシューズ」を探しに、だった。
本当はちょっとした登山が出来ればどんな靴でも良かったのだと後で知った。
国際通りに並ぶ靴屋さんを一軒一軒回り「キャラバンシューズ」を尋ねる祖母。
皮の匂い。ゴムの匂い。靴墨の匂い。
賑わう通り。流れる有線放送。
夏の匂いとワンピース姿の祖母の匂い。
私は、アスファルトの陽炎の上を路線バスが黒い煙を吐き出し走って行くのを
靴屋さんの店頭からぼんやり眺めていた。
真夏の痛い程の陽射しが、止まらない汗を含んだ洋服の重みとなってのしかかって行く。
車や迷子や、いろんな不安と責任が、背の小さな祖母の握る手をより一層強くしていた。
祖母は時々、歩道で立ち止まりハンドバッグから取り出したハンカチで私の汗を拭いてくれた。
仕事で忙しかった両親に代わり、祖母が私の手をとり近所のバス停からバスに乗った。
「バスを降りたら絶対に手を離さないこと、横断歩道を渡る時は手を挙げること、
帽子はしっかり被ること、今日だけは言うことを必ず聞くように」
確か、祖母はそんなことをバスの中で何度も繰り返していた。
私は祖母をじっと見つめて、何度も何度も頷いた。
何時間もかけて国際通り中を祖母と二人手をつないで歩いた。
山形屋の前のベンチに座り祖母の陽傘の影に包まれながらソフトクリームを二人で食べた。
祖母はいろんなことを教えてくれた。
厳しかった両親からも守ってくれて、よく慰めてくれた…。
あの頃は確かに祖母が大きかった…。
結局、しおりに記された「キャラバンシューズ」は何処にもなかった。
祖母に大切な時間を使わせてしまった私は
帰りのバスの中で祖母に伝えるべき言葉を迷い続けた。
「ありがとう」と「ごめんなさい」
私はそのどちらもクチに出来ず、
小さな胸の奥に大きな後悔を残したまま大人になった。
そして、「キャラバンシューズ」を想い出話として話すことなく、
あの時の気持ちを伝えられないまま何一つ孝行できないまま祖母は旅立って行った。
祖母と二人だけの安置室。祖母の頭を何度も何度も撫で、
祖母に聞こえるよう祖母の耳元で
「ばあちゃん、ありがとうね」
と囁いた。きっと、聞こえていたと思う。
そして私は、静かに眠る小さな祖母のおでこに、
最初で最後のお別れのキスをした。
赤嶺しげたか 2009・4・14 沖縄タイムス 「唐獅子」掲載
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