生涯、人はどれくらいの時間を笑って生きるのだろう。
その家のご主人は完成間近になっても決して笑顔を見せなかった。
「貴方なら私たち家族の願いを叶えてくれる」
数年前、そんな言葉で引き受けた設計依頼だった。
何度と重ねた打ち合わせも、設計プランが決まった日も、そのご主人は決して笑顔を見せなかった。
これまで、お客さんの僅かな表情の変化を読み取り、笑顔の集まる設計を心がけて来た・・・。
やはり満足していないのかもしれない。
このまま進めても一生後悔するに違いない。
「貴方なら・・・」
その言葉が何日も頭から離れず、電話をかけた。
「模型を見せたら家族全員納得しています。進めて下さい」
やはり、笑顔はなかった。
順調に工事が進み半年が過ぎた。
完成間近の現場を眺めながら、わかり易い言葉を選び、ご主人に説明したが笑顔はない。
それでも私は不安を表情には出さず、笑顔を添えた。
完成の日。
不安な気持ちと、それでも前へ進まないといけない寂しさが、きつく心を締め付ける。
細かいチェックを終え、静けさに包まれた時だった。
突然、ご主人が前に立ち深々と頭を下げた。
「家族全員、予想以上の出来に大変満足しています。本当にありがとうございました」
下げていた頭を戻すその顔は、笑顔で溢れていた。
最後に、笑ってくれたのだ。
心が解け、暖かいものがまぶたの奥に込み上げて来る。
ふっとチカラが抜け落ちた。
その瞬間、ご主人も頑張っていたのだと気付かされた。
一家の主として。男として。一世一代の大仕事をやり遂げる為、気を引き締め、笑顔を封じていたのだと。
そんな想いに気付かなかった自分を恥ずかしく思った。頑張って良かった、とも。
あの時、溢れる涙を堪える為にツネった太もものアザは今はもう消えた。
笑顔にもいろんなチカラがある事を学べる良い出逢いだったと感謝している。
私は、どんな辛い時でも祖母の口癖を忘れない。
「いつも笑っておきなさい。大丈夫だから」
笑っている人の所には人も集まる、幸せも集まる、チャンスも、出逢いも、笑顔も集まる、と。
大好きだった祖母を想い出す時、私の心の中の祖母は、いつも笑顔であふれている。
赤嶺しげたか 2009・3・17 沖縄タイムス 「唐獅子」掲載
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